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「グラーフ・ツェッペリン」で世界周航

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第二、第三区間

アルハンブラの名誉市民に

ちょうど、そのとき、ノックの音がした。ラジオの際に私の世話をしてくれたあの若いドイツ人に連れられてカリフォルニア海岸にある美しい街、アルハンブラからの代表がやってきた。
市長は、若々しく見える年配の紳士で、新調のグレイのサマースーツに身を包み、いかにもアメリカ人的な生き生きした顔立ちに、白くウェーブした髪という大変上品な出で立ちであった。
弁護士など2、3人の街の名士たちが、用件を尋ねた私に対し、私をアルハンブラの名誉市民にすることを決定したと述べた。

「グラーフ・ツェッペリン」の世界周航、私が報じた「フランクフルト新聞」の名声、ドイツへの新たな接点を作るという要望が、彼らを決定に導いたのだという。
彼らの街では盛大な朝食が準備されており、たったの1時間半しか掛からないから、下で待機している車で一緒に来るようにと言われた。何と!1時間半とは!もしあと半日でも長く居られれば!しかし、それは無理であった。非常に残念であった。
このような素敵な名前の街で名誉市民として朝食を摂るという機会は、人生で二度とないであろうから。

しかし、我々の世界周航に関するインタビューはほんの5分だけであった。
親しみのこもった別れの挨拶に、肩を叩かれた。紳士たちはもう外に出て、守衛の呼び鈴が鳴り、もうルビッチが長い葉巻を持って立っていた。もう私は一服し、我々はハリウッドに向かう自動車に乗っていた。

まず、トーキー映画の話題になった。トーキー映画が廃れてはおらず、逆に今やっと最盛期を迎え、またアメリカの大きな映画館ではまだトーキー映画しか上映されていないということを聞いて、我々は驚いた。
このようなことについて話すのは、この場にふさわしくなかったかもしれないが、これほど重要な、立派なドイツ人芸術家ルビッチが質問を真面目に受け止め、自らの最初のトーキー映画を見せて、ここで、まさにこの地で、彼が決定的な影響力を持っていることを示してくれたのは、私にとってとても喜ばしいことであった。

我々は小さな試写劇場で、騎士と犬が話したり吠えたりする愉快な小作品を見た。
私は、仕事の真っ最中であったルートヴィヒ・ベルガーのアトリエで、最も美しい映画スターの一人、少女のマリー・ブリヤンが貧しい少女を演じるのを観た。
「ああ、あなたは写真の方がずっと素敵ですね!」
その後、我々はルビッチ宅で食事をした。ヴィースバーデン出身の彼の美しい夫人が終夜、我々ツェッペリン一行を待ち受けて居てくれたが、彼女はカリフォルニアの女性たちについてとても生き生きと面白く話してくれたので、そこから立ち去ることが出来なくなった。

我々はロサンゼルスについて、殆ど何も知らなかった。そこは、椰子と年金生活者の街だと思った。他人のポケットの中で、ドル札がパリパリと音を立てるのを聞いているような感じであった。
重厚で輝かしい自動車のスリップする音や、うなる音は、私の耳に長いこと残っていた。
千人以上の客が着席し、食事をしている祝宴で、照明に照らされたツェッペリンが玩具のようにホールの窓越しに音を立てながら出たり入ったりするのが見えた。

>私はまだ、チャップリンの尊敬の念をたたえた顔を覚えている。彼は高い折り襟の黒い上着に身を包み、エッケナーの近くににこにこと微笑んで座っていた。
給仕は我々のテーブルのあいだを歩き、絶え間なくグラスに水を満たし、一方、カリフォルニアの者たちは、大広間でズボンの尻ポケットからウィスキー瓶を取り出して乾杯していた。
我々がそこに座っていたのは1時間だけであった。
ルビッチは、送別の贈り物に葉巻を差し出して握手をし、ルビッチ夫人からはヴィースバーデンへの挨拶を託され、映画の席の人たちに手を振り - 我々はまた再び飛び立っていた。

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