LZ127Profile

カール・マイバッハ

CarlMaybach

カール・マイバッハ(Carl Maybach: 6.7.1879-6.2.1960)

カール・マイバッハの父、ウィルヘルムはゴットリープ・ダイムラーと共同でエンジン研究を行っており、当時のダイムラー社の主任技師としてツェッペリン伯爵の最初の飛行船が初飛行した翌年、1901年に発売されたメルセデス第1号を設計した。

マイバッハはダイムラーとともに世界で初めて4輪ガソリン自動車を発明した人物で、マイバッハが居なければ後のダイムラー・ベンツはなかったといわれている。

ツェッペリン伯爵の硬式飛行船開発に協力するために、マイバッハは1909年にダイムラー社を去り、カールは父ウィルヘルムとフリードリッヒスハーフェンにマイバッハモーター社(Maybach-Motorenbau GmbH)を設立した。

ツェッペリンの飛行船には当初ダイムラーのエンジンを搭載していたが、マイバッハの工場が生産を始めるとマイバッハに切り替えられ、シュッテ・ランツ飛行船にも採用されている。

「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」の5基のエンジンにはマイバッハVL2型水冷V型12気筒540PSが採用されている。

1920年代にカール・マイバッハは超高級乗用車を開発した。代表的な車種はいまもフリードリッヒスハーフェンのツェッペリン博物館のホール中央に展示されているマイバッハ・ツェッペリンである。その価格は36000ライヒスマルクと言われ、ドイツ皇帝や昭和天皇の御料車グローサー・メルセデス(41000ライヒスマルク)と対比されていた。

1952年にカール・マイバッハが引退したあと1966年にダイムラー・ベンツが50%の株式を取得し、1969年にMTU(Motoren und Turbinen Union)と社名を変更している。舶用中速ディーゼルなどマイバッハブランド時代から自動車だけでなく鉄道用エンジンも生産しており、MTUエンジンには定評がある。ダイムラー社は2002年にロールス・ロイス・ファントム、ベントレークラスのマイバッハブランド高級車を発表した。

カール・マイバッハはいま、フリードリッヒスハーフェンの市営墓地で、フーゴー・エッケナー、クラウディウス・ドルニエなど当時の仲間と共に眠っている。

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