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大型旅客用飛行船の黄金時代(18)

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Harold G.Dick with D.H.Robinson著 "Graf Zepperin & Hindenburg"

「グラーフ・ツェッペリン」と「ヒンデンブルク」
大型旅客用飛行船の黄金時代


第7章: 渡洋飛行の船上業務(1)

リオデジャネイロで「グラーフ・ツェッペリン」が離着陸場に使っていたカンポ・アフォンゾはリオの街に近く、山が迫っていたので霧がかかることがあった。繋留マストは使わず、乗客が下船し帰りの乗客が乗船するあいだ、地上支援員が地上に引きつけていた。これは理想的な着陸場とはほど遠く、後に「ヒンデンブルク」のため、リオデジャネイロの南約25マイルのサンタ・クルズに格納庫を備えた広くて改善された発着場が開発された。

地上支援員はブラジル軍の兵隊であったが、彼らは常に仕事のことばかり考えているわけではなかった。ある着陸のとき、後部エンジンゴンドラについていた1人が、そこでグループの写真を撮ろうとしたので皆がエンジンゴンドラから手を放してカメラの方を向いた。飛行船は後部が軽かったので船尾が持ち上がった。その結果、指令ゴンドラはまだ地上にあるというのに後部エンジンゴンドラは約100フィート地表から上がってしまった。我々、指令ゴンドラにいた手空き総員は全力で走った。

10人がキールに沿って後方に走ると、およそ10トンのバラスト水を後部に移送するのとほぼ等しい重心移動となり、何とか後部エンジンゴンドラを地表に戻すことが出来た。このようなバラスト代わりに走らされる乗組員は「走る錘」と呼ばれていた。

南大西洋を越えてヨーロッパに戻る飛行は、通常4~5000フィートの比較的高々度を飛び、アフリカ沿岸から200マイルほど沖を通った。低い高度では北西の貿易風が常時サハラ上空の低気圧域に生じていたが、高々度では北西の風が吹いていたからである。

しかしながら高々度ではサハラから吹く、短時間では6%にまで湿度の下がった乾燥した熱風に出会うとは限らなかった。砂漠から吹く風の存在は、アフリカ沿岸からはるか数百マイル沖まで黄色くなっているので判った。

今日では大気汚染と言うが、それは細かい埃が風によって飛ばされたものである。この埃が、ラウンジと言わず船上の全てに付着した。もし、これが乗客をたまらないほど不快にさせるときはもう少しましになるまで高度を下げた。

飛行船が熱く乾燥した空気帯に入ったときは、いつも熱風に遭遇した高度で乱気流が発生した。実際、大洋上で涼しい海風から、上空の砂漠から吹く熱風に遭うと飛行船は逆に上昇し、より熱い空気の入り口では重くなった。限界は非常にはっきりしていた。

1934年に私の乗った6回の「グラーフ・ツェッペリン」南米飛行では、飛行船の観察と操舵室での当直が忙しかったが、少ない余暇時間には移りゆく風景を楽しんだ。私は乗務員区画の寝室で眠り、士官食堂で食事をとった。私の飛行時間は合計1196.36時間であったが、距離にすると66136マイルにあたる。

大型飛行船は大西洋横断飛行で文字通り数日の飛行を行い、乗務員は洋上の船舶と同様に3直で業務に従事していた。

「グラーフ・ツェッペリン」の乗務員は次の通りである。

指令(船長資格): 1名
当直士官(船長資格): 3名
航海士: 3名
昇降舵手: 3名
方向舵手: 3名
通信士: 3名
機関士: 1名
キール技師: 2名
操機手:15名
電気技師: 2名
調理師: 2名
スチュワード: 2名

指令は当直に立つことはないが、常に責任を持っている。操縦室の当直は当直士官と航海士で、それぞれの当直は4時間ずつで、24時間に2回の当直となる。最初の当直は、午前・午後とも12時から4時まで、第2直は4時から8時まで、第3直は8時から12時までである。この当直は移動せず、同じ士官はいつも同じ時間に当直に立つ。これは最良の配置で、特に標準ルートを飛行するときはこの当直が適している。

昇降舵手、方向舵手を含む残りの乗組員は日中2時間、夜間は3時間の直につく。3直の場合、それぞれの持ち時間は常に変更されていた。日中はそれぞれ、次の当直の前2時間は待機(パケットワッチ)で、夜間は通常の当直前の3時間が待機であった。夜間は、あまりすることがないからで、それぞれ6時間睡眠をとることが出来た。

全ての乗組員に追加の仕事があった。一等通信士は要求に応じて飛行船指令に報告するが、彼の当直時間には直接当直士官に報告し、その他の通信士も同様であった。昇降舵手、方向舵手、セールメーカー(ガス嚢・ガスバルブ・外被・バラスト袋の責任者)は士官食堂のテーブルサービスなどのような追加業務もあった。また、例えば制御索の点検のような点検業務もあった。これは、ある担当に割り当てられ、一日に2度点検を行っていた。

昇降舵手・方向舵手は非番のとき、通常天気図を描いており、当直士官か飛行船指令に渡していた。1直の当直士官は実務担当士官としての業務もあり、2直の当直士官はパーサーも担当し、3直の当直士官は航海長を担当していた。但し、配置はその当直士官の個性と資格によって決められていた。

私は「グラーフ・ツェッペリン」の運用に関する知識を完全に把握するために、ヴィッターマン船長の当直についた。彼の航海士、ハンス・ラドヴィックが英語が堪能だったからである。私は通常の状態ではヴィッターマンの当直時にブリッジにいるほかに特定の任務はなかった。当直の合間には飛行船の操船、キール当直、ガス嚢、エンジンその他全てについて堪能になるように心掛けた。なぜなら、操船と方向舵・昇降舵の操作は飛行船の感覚を理解する上で非常に重要だったからである。

なるべく多くの時間をブリッジで過ごした。通常担当している方向舵手か、昇降舵手をペルナンブコに残したとき、その代わりに方向舵手か昇降舵手の当直に立つことになっていた。それに加えて、昇降舵手の仕事が多すぎるときにそれを分担することで、彼はほかの仕事をすることが出来た。

その手助けが私にとって意思疎通と経験の両面で有難かった。私がそれらの操作をしても、私の技量に関して何も問われることはなかった。

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