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大型旅客用飛行船の黄金時代(5)

Arnstein

Harold G.Dick with D.H.Robinson著 "Graf Zepperin & Hindenburg"

「グラーフ・ツェッペリン」と「ヒンデンブルク」
大型旅客用飛行船の黄金時代


第1章: 私の飛行船事始め(1)

私がマサチューセッツ工科大学(MIT)に入学したのは1924年の秋、17歳のときであった。そのときは後年、生涯にわたって大型飛行船とこれほどの結びつきが待っていようとは思わなかった。1913年にMITではアメリカで初めて航空工学のコースに高度教育研究所が設置されていたが、私は機械工学の学位を志望していた。

しかし私は陸軍航空隊のROTCプログラムに興味を惹かれてこれに申し込んだが、最初は古いイーストボストン飛行場の見学で警備隊のパイロットがその辺りを第一次大戦当時の「ジェニー」や「デハビランド」で飛びまわっている程度のことであった。

1927年のラングレイ飛行場での6週間にわたる夏季合宿はちょっと様子が違っていた。双発のマーチン爆撃機の機首に座を占め、さらに嬉しいことに初めて飛行船に乗ったのである。そのときは未だ知らなかったが、それは陸軍の軟式飛行船で "rubber cow" というグッドイヤー製のTC船であった。布製のバッグの下に乗組員と一緒に、多数のケーブルで吊り下げられた開放型ゴンドラに乗った。その外側には2基のエンジンが取り付けられていた。

空中を浮遊することは素晴らしかった。小さな、かよわい飛行機で飛ぶのとは違った感じであった。その感覚は覚えている。

1929年にS.B.の資格を取り、予備航空隊に委嘱された。1年後、ジョージア大学、ニューヨーク大学、それに私の居たMITなど名門大学からの24人とともに学位を授与されグッドイヤー・タイヤ・ゴム会社で3ヶ月のスタッフ養成プログラムに採用された。それが終了すると配属希望の部門を選ぶことが出来た。グッドイヤーは、子会社グッドイヤー・ツェッペリンで飛行船を建造していることを知っていたのでラングレイ飛行場で空を飛ぶのも良いと思ったが最終的に機械設計の道を選んだ。

そこで最初の成功をおさめることが出来た。長い間低迷していたVベルト部門は仕事がなかったので半日勤務であった。グッドイヤーの製品は競合他社より劣勢であった。会社のベルト設計のハンドブック改訂を手伝い、短期間で開発されたVベルトは大成功だったので3直シフトで生産された。おそらくこの小事件のおかげでグッドイヤー・タイヤ・ゴム会社の社長、ポール・W.リッチフィールド氏が私を気に留めてくれたのであろう。

ゴム生産の大企業であるグッドイヤーは1911年からゴム引き布の飛行船を作ってきており、リッチフィールドは将来、軍需・民需の両分野で大きな可能性を秘めた巨大なツェッペリン型硬式飛行船の重要性を認識していた。こうして1923年10月にフリードリッヒスハーフェンのツェッペリンを代表するフーゴー・エッケナー博士と、オハイオ州アクロンにグッドイヤー・ツェッペリン社を設立することに合意した。

同社はツェッペリン社特許の北米での使用権を引き継ぎ、ツェッペリン飛行船製造社はドイツの特許のほかにアメリカの特許権を使用しアメリカの会社の株式の10%を保有するという契約であった。さらに、ツェッペリン社の基幹要員が親会社の経験をグッドイヤー・ツェッペリンに伝えるためにアメリカに来ることになった。ドイツの事業所の応力解析の主任者であるカール・アルンシュタイン博士を筆頭に13名の技術者が1924年10月に渡米した。

1928年にグッドイヤー・ツェッペリンはアメリカ海軍から重要な2隻の6,500,000立方フィートの大型硬式飛行船を受注することが出来た。のちに「アクロン」「メーコン」と命名される2隻である。1930年末、大型船の設計は進行中であったが建造中の「アクロン」とそれを収容する格納庫は工事中であった。その当時、グッドイヤー・ツェッペリンの設計部門はドイツ人に限られていたので、リッチフィールド氏は誰か有能なアメリカ人をスタッフに加える時期だと考えた。

こうして1930年末のある日、我々3人がリッチフィールド氏の部屋に呼び出され、そこで社長から硬式飛行船の建造に誰かアメリカ人を従事させることを望んでいると告げられた。人間味豊かで説得力のある人物ポール・リッチフィールド氏は硬式飛行船の開発には大きな未来があり、その技術をグッドイヤー・ツェッペリンに移すことは重要であると述べた。ジョージ・ルイスと私に「神託」が下った。我々は直ちにグッドイヤー・ツェッペリンのスタッフに参加した。

(写真はグッドイヤー・ツェッペリン社の技術・設計陣の核としてグッドイヤーに来た最初のドイツ人グループ、カール・アルンシュタイン博士と彼の「12人の弟子」である。
1924年10月に汽船「ジョージ・ワシントン」船上で撮られたものである。
前列左からシェッテル、シュナイツァー、アルンシュタイン、ブルンナー、クレンペラー。
中列 モーゼバッハ、リーガー、リーベルト。
後列 バウフ、ケック、ヒリガルト、ヘルマ、フィッシャーである。)

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第1章: 私の飛行船事始め(2)へ

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